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櫻山 櫻塾 櫻ん人

 

 

 我が財団職員二名が学ぶ気象大学校の構内にて 今秋の風情

 

 

 

櫻山 櫻塾 櫻ん人

 

 

Windows Liveの、今までのサービスは終わるらしく、「硯水亭歳時記 Ⅱ」では行き成りアップロードしたために、

したいように出来る編集が殆ど出来ないようになっています。この「櫻灯路」もギリギリまで頑張っていたのですが、

新しくしなければ、いずれ削除される憂き目に合いそうに追い詰められています。大変に残念に思っているところです。

様々な機種が出て参りましたので、あらゆるジャンルに対応するためでしょう。そこで改めてユーザーとの契約書なるものを

隅々まで読み返してみましたら、一切MSNには責任がないように完璧に書かれていました。今回のような大幅な改悪も、

大会社には全く責任がないのです。ネット上での無責任さはこうして増長されていたのかと思うと改めて残念でなりませぬ。

ご承知の通り、「硯水亭歳時記 Ⅱ」は更新しておらず、またこの「櫻灯路」も、今後一週間後にそうしようと思っています。

一度止めていたGooブログの「硯水亭歳時記」に、恥をしのんで取り合えず緊急避難しているところです。

 

考えてみますと、我が財団の櫻山計画はちっとも捗っていないようにご覧なられることでしょう。

禿山にして、勝手に櫻だけを植樹することは決して致しません。狭義の意味では林業の再生を担っています。

広義には日本文化のアイデンテティの一環としての具現化です。無闇矢鱈に櫻を植樹し満足するような集団ではありません。

岐阜山中に目標を定めた後、広い山林の間伐を現在進めておりますが、埼玉県安行にはたくさんの苗木が育っています。

櫻への信仰として、蔵王権現のご請来や宇佐八幡さまや伏見稲荷さまのご請来も御座います。

櫻の研究所の思案も既に完成し始業しています。自然林の中に共生するカタチで櫻の苗木約300種類を植えてまいりますが、

壮大な計画ですから、人を育て、地域と密着し、信仰心を高める、そうした基盤整備が、思ったより遥かに巨大でした。

それだけあれもこれもと欲張りな集団であるのでしょう。ホームページも私たちの交流のブログも一切非公開にして、

御座いますのは、私的機関であることと同時に、売国奴が横溢している現状、公的機関に決して決して頼らない方針だからです。

 

日本の七割は山林、その三割が人工林ですが、今、林業は既に死滅してしまったような分野です。

安いからと言って、住宅建材をアマゾンの密林に、その多くは求められています。憤懣やる方ないのですが、廉価な建売を作ろうと、

多くの業者は凌ぎを削っています。猛烈に抗議したく存じますが、国内では間伐だけで何とかしなくてはならないものでしょう。

地球温暖化問題を一方では声高に叫んでいても虚しい論拠です。ナラ枯れの問題は深刻です。京都の三方を囲む山々は、

特に酷く、真夏から紅葉が始まった風情です。被害にあったナラ類の樹の伐採をしたくとも、地主さまは三代前にいなくなり、

どこにどう探していいやら分からない現状で、もう直ぐ被害樹は三万本になろうとしています。頭で考えるより遥かに深刻です。

 

能面は殆ど木曾檜を使用しますが、伐採してから、面打ち(能面作家)のもとに行くのは実に三十年以上は掛かります。

水につけたり、乾燥したり、種々の工程がありまして、樹の油を適度に取る作業と罅割れの確認作業を終えなければなりません。

秋田檜は何故能面創りに適さないかと申しますと、樹の油が強過ぎて、彩色を施した後、変色の恐れが強いためです。

これは極端な例ですが、林業とは最低五十年先を見越してする仕事です。一代ではなしえず、代々ついでこそなされるものです。

 

哀しいかな、人は十年先も観ることなく、計画だけが幻のように先行し、ほぼ無意味になってしまっています。

私たちは出来るだけ先を見越すパワーを身につけ、公開する段になりましたら、ご迷惑をかけることなく、粛々とご披瀝させて、

戴きたいと心より念願しています。少なくとも今しばらくお待ち戴けまするよう御願い申し上げますとともに、

「櫻灯路」と、「硯水亭歳時記 Ⅱ」をしばらくの間お休みさせて戴きます。長い間ご愛読戴きまして感謝しております。

当面は「硯水亭歳時記」の一本のみの公開で相済みませぬ。是非ご理解のほどをよろしく御願い申し上げます。

 

 

 

櫻灯路

 

  (代 庵の軒下)

 

 

 

 

 しばらくは面袋(めんぶくろ)の中に閉じおき候

 

 

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ダラダラ泣き、でも次ぎの日はケロッとして

 

 

 佐野洋子 作・絵 「100万回生きたねこ」挿画より (講談社刊)

 

 

 

      ダラダラ泣き、でも次ぎの日はケロッとして、思い出すときだけダラダラ泣きました

     佐野洋子先生 追悼

 

 追悼文が続きますが、乳癌の闘病を続けながら、敢然と立ち向かっておられた佐野洋子先生がついに、11月5日午前中に逝かれました。何処となく背筋が寒いのは立冬が過ぎたという時節だけではないのでしょう。最近までお元気だったご様子だったのに、「ヨウコさん 逝っちゃったぁ」と心の底から淋しさが込み上げて参りました。無論大ヒットした幾つかの絵本の作者であるばかりでなく、私は彼女が書かれた多くのエッセイに勇気づけられました。美しさとか優しさとか、先生には無縁なリアリストであったのかも知れませんが、厳しい現実と正直さだけが先生の記憶として残ります。「わたし いる」(講談社文庫)、「あれも嫌い これも好き」(朝日新聞社刊)、「神も仏もありません」(筑摩書房刊)、「シズコさん」(新潮社刊)、「役にたたない日々」(朝日新聞出版刊)など代表的なものですが、どれを読んでも真正直で、それが喩えこちらの受け取り方がそうではないんではないかと勘繰ってみても、決して正直でない筈がないと納得させるに充分だからで、私は自らが不埒で、嘘八百で、不実で嫌な男ではないかと、先生が書いたものから何時も質されたものでした。

 例えば「シズコさん」ですが、散々に母親シズコさんの悪口を書いています。そればかりか身内に対しても遠慮会釈なく、存分に悪態をついているのですが、シズコさんが呆けてから、生理的にも大嫌いだった娘が覚醒致します。「母さんの目が急に少女マンガの星がやどる様に光る。喜びが爆発、顔全体が、まるで赤ん坊が笑う様になる」、「あの母さんの目と顔の表情を見る様になって、私は母さんをさわれる様になった」と。佐野洋子の母親はちっとも優しくなかったのに、そして生理的にも大嫌いだったのに。家事や社交や裁縫や、何よりも他人に親切で有能な方だったらしいシズコさん。母親が弟の家から追い出されて、77歳で佐野家にやってきた母親を、たった2年半でなけなしのお金を叩き、特別介護老人ホームに入れてしまう。長い長い確執の末のことでした。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」、「何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった」、「私はほとんど五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった」。

 誰に対してもズケズケ物を言い、言いたい放題なのですが、どこかに正直さと繊細さの両方を合わせて持ち、どのエッセイや小説や童話にも何処かに救いがあったように思われます。私にとっては、特に正直さという点においてはお手本になる方でした。シズコさんは2006年8月に93歳で亡くなるのですが、その数年前から佐野洋子さんは乳癌に侵されており、母親のお葬式の時は車椅子でありました。乳癌を摘出しても骨にまで癌が広がって闘っていたからです。この「シズコさん」はその年の1月から12月まで雑誌「波」に連載されたものでした。「硯水亭歳時記 Ⅱ」では、あんなに憎んでいたシズコさんの年まで生きて欲しいと、やや残酷なるお励ましの言葉を書かせて戴いておりました。長男広瀬弦さんによりますと、後日お別れ会があるようです。私にもきっとそのお知らせがあることでしょう。北京で生まれ、戦後の混乱期を生きた佐野洋子さんは実に180冊もの本を出版され、今頃シズコさんにでも出会っているのでしょうか。心からご冥福をお祈り申し上げます。1938年北京生まれの、72歳という若さでした。80歳には80の景色があり、90歳には90にならないと見えない景色だあったのに、とっても残念です。

 癌は細胞と同じで、幾ら医療が発達しても同時に正常な細胞まで破壊してしまうので、新薬の開発は甚だ困難なようです。出来るだけ早期発見に努めてまいるべきだと信じます。皆さまにおかれましても、どうぞお気をつけ戴きたく存じあげます。今癌で闘病中の方々がたくさんおられますが、佐野洋子さんのように自ら葬式の差配をし、お寺を決め、墓を建て、永代供養までして、何の後腐れもなく最期を迎えられる方が少ないことでしょう。生き方も人それぞれですが、どうやら死に方も人それぞれなご様子なようです。狭い国土をつまらない40年の生に、お墓は要らない戒名も要らないと言い放って、突然死したこの櫻灯路の亡き主人の生き様も時期が経てば経つほど、その素敵な人生の様々が思い出されることであります。南無大師遍照金剛!

 

 

佐野洋子さんのご遺影 生前 友人のカメラマンに遺影として撮ってもらっていた

 

 

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逸見晴恵さんの壮絶なる死を悼む

 

 

 在りし日の逸見晴恵さん (享年61歳 早過ぎる死)

 

 

 

 

          逸見晴恵さんの壮絶なる死を悼む

 

 故逸見政孝氏のご夫人、逸見晴恵さんが今月21日に亡くなっておられた。享年61歳という若さだ。我が亡き主人が逸見氏とのお付き合いがあり、生前年賀状は、毎年家族全員が写っている逸見家の画像と共に賀状をお送り下さっていた。私が30歳になる前だったか、政孝氏が独立した頃、我が主人と、お忙しい中ご一緒に遊んだことがある。腰痛から回復されて間もなくのことであったろうか。それで彼は殆ど下戸で、お酒は召し上がらなかったが(アルコール性アレルギーのため)、その夜どういうわけか、そしてどちらから誘われたのか、主人に同行し、政孝氏と三四人で渋谷のカラオケ店に行ったことをよく覚えている。歌を歌うのが大好きな私は調子に乗って、井上陽水や尾崎豊の歌を歌っていたが、気付くと私だけがマイクを握っていて、すっかり恐縮し、主人にマイクを渡すと、主人は甲高い声で小田和正や美空ひばりを歌った。逸見氏に差し向けると、どうしても歌えないのだという。まぁまぁテレビに写るわけじゃないんだからと言って、主人が強く促すと辛うじてマイクを持って佇んだ。「僕は一曲しか歌えないからそれでいいか」というものだから、「勿論」とやんやの喝采をし、今や遅しと待っていると、すると何と「イ~~ノチ~短しぃ、恋せよ~オトメ~~」と、あの『ゴンドラの唄』を歌い出した。お世辞にも上手な歌唱ではなかったが、主人の眼からポロポロと涙がこぼれた。逸見氏は半ば音痴かも知れないが、余りにも誠実なその人柄に打たれたのだった。後で聞いたら、カラオケは師匠について相当お稽古されていたようで、晩年あちこちで歌ったのも知っているが、ゴンドラの唄は、彼の十八番だったに違いない。

 あの癌告知の記者会見から、それでも彼は頑張っていた。だってご自宅を新築なされた直ぐ後だったもの。その年の2月から癌との闘いは隠されていた。9月に例の癌告白の記者会見をし、最期は腸閉塞を併発し無念かな退院出来なかった。長男・太郎ちゃんの21歳の誕生日(12月24日)、その翌日の25日にご他界なされ、信濃町の千日谷会堂で、26日通夜、27日の葬儀及び告別式があったが、私たちはその別れの式に出席させて戴いた。告別式の間中、前席にいた大親友のビートたけし氏が周囲に気遣うことなく号泣していたのが今でも鮮明に忘れられない。早稲田大学演劇専修から同時に二人でフジテレビに入社した松倉悦郎アナも大真面目な方であったし、親友の菩提を弔いたいと、定年を前に依願退職し、2002年春から奥さまのご実家である兵庫県姫路市・浄土真宗本願寺派(お西)不動山善教寺で門徒の僧侶になられた。僧としての名は「結城思聞(ゆうき・しもん)」。彼もまた逸見氏に負けない真面目な方で、番組内で後輩アナから冗談まじりで「アナウンス界の田村正和」などと言ってからかわれると、放映中でも烈火のごとく怒って叱責したほどであった。

 逸見政孝氏は、彼の死の13年前弟さんを同じスキルス性(進行性)胃癌で亡くしている。だからご夫人の晴恵さんも相当に体調に気遣っていたようであったが、ご挨拶程度の葉書の往来はあったものの、まさかご本人が夫の死後すぐに子宮頸癌を手術し、爾来それに伴う骨髄異形成症候群(血液の癌)を告げられただなんて。政孝氏死後10年目に、晴恵さんが自著「黙っているの もうやめた」(日本医療情報出版 刊)。そして癌撲滅のためにあんなに真摯に講演活動をし頑張っていたのに。癌患者さんと一緒に出掛けたご自身企画の海外旅行・「いっつ癒しの旅~ガン卒業旅行」は毎年続いていたからどこか安心していたのだが、今年は本人は行けなかったらしい。きっと特別に悔しかったに相違ない。私も一度講演を聴いたことがあるが、実に前向きな方で、未だに信じられないでいる。骨髄異形成症候群は年々抵抗力をなくして行く血液の癌らしく、この四ヶ月間入退院を繰り返していたという。そしてついに力尽き21日肺胞蛋白症にて亡くなられた。そんなに早く政孝氏のもとに行きたかったのか、一報に接し嗚咽してやまなかった。松倉悦郎氏、いや結城思聞師の日々のブログにもその日の記事が出ている。思聞師にとっても大いなる哀しみの中にあるのだろう。お母さんのご葬儀を極限られた方々で静かに密葬して送られた二人の子供たち、太郎さんと愛ちゃんの心根がしみじみと私たち伝わって来る。今頃はあの世で再会され、政孝氏は大好きなコーラで、晴恵さんはお酒で乾杯され、ご苦労さまとでも言い合ってらっしゃるのだろうか。心からご冥福をお祈り申し上げたい。

 尚関西の多くの著名人から逸見政孝氏は関西を裏切ったヤツだという批判が多かったが、彼ほど阪神タイガースを愛した人はいなかった。72歳にもなって道草くっている三文エッセシトにはその情愛のほどは分からぬことだろう。上岡龍太郎や、やしきたかじんなどがその批判の急先鋒であったが、彼らには何も分かっちゃいない。政孝氏が注ぐタイガースへの愛情は相当なものであった上、関西に多くおられる品の悪いほうではなかった。他球団は他球団に対し、必ずリスペクトしていたし、父上さまとも太郎ちゃんとも親子三代に渡ってファンだと自負し大いにタイガースを応援していた。そして家族あげて関西(出身は大阪市阿倍野区)に帰省するとき、あの日航ジャンボ機123便に搭乗する予定だったのだが、晴恵さんが飛行機が弱いからと言って、太郎ちゃんの発案で急遽新幹線で行くことになり、あの盆前の大惨事、大難を逃ていた。音楽家・三枝成彰氏の実弟で映画監督の三枝建起氏も、彼の早稲田の同級生らしいが、赤い豆タンって英語ばかりじゃないんだなぁ、学生時代の逸見は赤く小さなアクセント辞典を始終持ち歩いて、食べてしまうような勢いで必死になって、アナウンス研究会で努力していたものと。服装は常に学生服で角帽で下駄履きのバンカラでまん丸眼鏡を掛けていたとか。尚松倉悦郎氏は放送研究会出身だったとも伺ったことがある。あれもこれも今や遠い記憶となるのだろうか。心から心からご冥福をお祈り申し上げ、願わくば太郎ちゃんや愛ちゃんに過酷な遺伝がなきようにと心底から・・・・。

 松倉悦郎(結城思聞氏ブログ)思聞のひとりごと

  師の晴恵さん関連記事 「逸見晴恵さんと田園調布でランチ」 (何故か後ろ髪をひかれたご様子 ○○氏は江川卓氏のことか)

                   「逸見晴恵さん、ついにお浄土へ」 (逸見家と濃厚な関係があった親友らしく短く深い哀しみが)

 

 

 果たして女を生ききったのだろうか 逸見晴恵さんの早過ぎる壮絶な死 無念の極みなり

 

 

    故 逸見政孝・晴恵ご夫妻にささけ給ふる「金子みすゞの詩」一篇

 

     花のたましい    (金子みすゞ 詩)

 

      散ったお花のたましいは、

      み仏さまの花ぞのに、

      ひとつ残らずうまれるの。

 

      だって、お花はやさしくて、

      おてんとさまが呼ぶときに、

      ぱっとひらいて、ほほえんで、

      蝶々に甘い蜜をやり、

      人にゃ匂いをみなくれて、

 

      風がおいでとよぶときに、

      やはりすなおについてゆき、

 

      なきがらさえも、ままごとの

      御飯になってくれるから。

 

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ハイビスカスの紅い実

 

 

 ハイビスカスの紅い実

 

 

 

       ハイビスカスの紅い実

 

 ハワイにもタヒチにもグアムにもボラボラ島にも南海の島々巡りを数えきれないぐらいしたことがあるが、南海のお花の象徴でもあるハイビスカスにこのような真っ赤な実がなるとはつゆ知らず、不覚にも今日までよく生きてきたものだ。以前当家にはなかったが、叔母が帰って来るとき、嫁ぎ先から種子だけ持ち帰り、庭の片隅に植えたようである。この実をよく観ると、紅くトゲトゲした表皮があって、薄緑色した親指大の種がこの中にある。茶色になったら種子として保存出来るものだという。ふうせん蔓の表皮も恐る恐る剥いでみると、何と鋭い弓状をした種子の小包が出てきた。然もそれは表皮と夥しい細い糸で強く結び付けられていた。杏は自分が取ってきたものの解体だから、興味津々でみつめていたが、こうして楽しいひと時があるのは、杏が庭で色々と集めてくれたお陰である。謝ゝ杏!

 各地で熊被害が出ている。明らかに林業の衰退の結果であり、日本における生態系のトップに君臨する熊のせいではない。足利銅山がその昔開発され、生態系の行き来が出来なくなって、奥日光には日本鹿しか生きていない。爆発的に増えた鹿のせいで、高山植物が食い荒らされ、一部外来種とおぼしき花の楽園になっているが、トンでもない事態である。特に真冬になると、食べ物がなくなり、鹿は樹皮の表層を剥がして、何処までも食い荒らす。ピーーッと鳴きながら疾走する鹿の軍団は相当に危険であり恐怖である。日本猟友会の会員の皆さまがここ数年で圧倒的に少なくなり、街を徘徊する熊だって仕留めることが出来ないでいる。一人では駆除することが出来ないからである。私の場合、アメリカでは銃の所持権があり、自宅のあるサンタフェには厳重にライフルを管理し保管しているが、日本では持っていない。日本の銃規制は極めて厳しく、猟友会の会員さんであるだけで尊敬に値するほどである。免許更新が毎回大変厳しいものだからだ。これはそれでいいと思うのだが、ライフルの所持者も高齢化し、増えすぎた鹿や熊の駆除が極めて難しくなっているせいでもある。

 ナラ枯れだって、林業の危機的状況を表している。ナラ枯れも木の実の不作に拍車をかけ、動物の生態系に多大な悪影響を与えていることは明白だ。絶望的な事態である。日本国土の70%は山林であり、その30%が人工林であるが、今の人工林で息継ぎ出来ている森はホンの僅かである。林業は毎年結果が出る農作物とは違い、少なくとも五十年先、百年先を見据えながら経営して行かなければならないから大変なのであって、昨年吉野の奥千本に行った途中の杉林には極度に落胆させられた。真っ暗闇で、間伐は全然されておらず、植林したままのサラの状態であったからだ。山林は手が掛かるのである。又掛けなければ樹は息継ぎが出来ないで、集団的害虫の被害に茫然として出合うだけだ。里山は、山林と人里の境界線の役目を果たしていたが、それも又高齢化した各地の集落の結果、荒れっ放しのままとなっている。林業専業者は現在どれだけいるのだろう。考えてみるのも恐ろしく辛い話であり、私たちがやろうとしている櫻山計画は、これらの問題と全く無縁であるわけがない。政治など怪しい権力に一切頼らず、先ず自らで人作り。そして山林深く分け入って入ろうと覚悟している。基礎作りで、今は手一杯なのだが・・・・・。

 

      

 

 ハイビスカスの種や ふうせん蔓の種など 杏は興味津々

 

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高柳佐知子先生の個展

 

 

高柳佐知子先生の個展 銀座4丁目のギャラリー・オカベにて

 

 

 

        高柳佐知子先生の個展

 

 今週18日から23日まで高柳佐知子先生の個展があった。僕は極めて繁忙な時期にあり、娘と行く約束をしていたのだが、偶々杏は少々風邪気味らしく、微熱が取れないので、無念かな取りやめてしまった。代わりに近所に住む叔父に行ってもらった。上記個展の画像は叔父が撮ったものである。さすがに展示物にはカメラはまわせなかったようだが、何と高柳先生ご自身がおれら、叔父は親しく話したようである。目の優しい素敵な方だったという。最初、杏の叔父だと言ったとき、先生は分からなかったようだが、従兄弟のRが早川茉莉さんとブログでお付き合いを戴いており、杏が誕生したときに先生から、 「エルフさんの店」 を先生のサイン入りで戴いたと。早川さんとのお付き合いのことも。そうだったわねと、直ぐに思い出された先生は、叔父が購入した高柳佐知子先生の本、「ケルトの国へ妖精を探しに」「イギリス 湖水地方を訪ねて」  (両著とも河出書房新社刊)や、絵葉書数枚を購入したので、気軽にサインしましょうと言われ、遠慮なく、杏宛てのサインを頂戴したようである。

 

          

 

 「イギリス 湖水地方を訪ねて」          「ケルトの国へ 妖精を探しに」

 

 叔父の話では全作品がパステル画で幻想的な美しい絵が30点ほど展示してあり、奥に「エルフさんの店」の原画が非売品をして展示されていたようだ。叔父も気が利かないものである。スケートする女の子の絵はきっと杏が喜ぶはずだと言いながら、何故一点も購入してこなかったのか。叔父曰く、あなた達が行くって言っていたから、余計なことをしなかったまでだと。叔父はあれでも画商の端くれであり、それだけ審美眼を持っているはずだから、代理を頼んだのだったが、それもそうだなと思いつつ、いつかは杏と共に、先生にお逢いしたいと強く念願した。「エルフさんの店」を杏が観ているのを知っている叔父は、原画にすっかり感動をしたようで、何だか胸が熱くなったという。杏がまだ二歳を過ぎたばかりなのに、ちっこいヴァイオリンで、シューベルトの「鱒」の主旋律を60%ほど弾けることや、母親似で背高のっぽの女の子であることや、独り遊びが好きな子であることなど、余計なことまで喋ってきたようである。先生はどんな女の子になるのでしょうと仰られていたようで、何とも気恥ずかしい。でもいつか必ず先生の絵を購入するだろう。

 イギリスは氷河期が永かったせいで、全土肥沃な土地ではない。従って固有種が全くない。あのガラパゴスで110種で、日本には131種と世界で別格の日本なのだが、現在名古屋で開かれているCOP10を注意深く見ている。発展途上国と先進国との間に利益還元というか分配というか、何やらきな臭い。あらゆる生物資源は人類共通のもので、先進国だけが新薬の開発をし、莫大な利益をあげるだけでは由々しき問題である。新興国に利益の還元があって当然であろう。お話がやや逸れてしまったが、来週から連夜BSハイビジョン放送で始まるイングリッシュ・ガーデンの映像をどれほど楽しみにしていることだろう。荒れた大地だからこそ、イギリスではガーディニングが最早国民病とも言っていいぐらい盛んなのである。特にこの放送のうちで「猫のしっぽ カエルの手」スペシャル版 ベニシアの旅があって、29日20時から21時半まで、ベニシアさんのお里帰りのお話がある。これも楽しみでならない。毎年発表になるイエローブックは、僕のもとにも毎年届いている。大好きなコッツウォルズにも行きたいし、新たに認定されたお庭も拝見したいものである。だが美しい庭園を一歩外に出て郊外を歩くと荒涼としたやせた原野が未だにあり、高柳先生が旅したケルトの国=アイルランドはその最たる国土である。キリスト教が流入すると、それまで信仰の神々であった民間の神々は妖精や邪悪な悪魔となり、寧ろ異端視された。アイルランドの国民的聖地である「タラの丘」は、その象徴であろう。我が国ではアニミズム信仰が基となり、古代神道が発生し、その後佛教との融合することによって神佛混交の素晴らしい独特な信仰形態が派生したのだが、アイルランドとイギリスは日本の時代で言えば平安時代から、極最近まで言わば宗教戦争に明け暮れていた。つくづく日本人の自然に対する崇敬の念が強いのを大変誇りに思う。

 高柳佐知子先生のご著書の内容はピュアなものに対する飽くなき信仰であり、そこから透明感のある素敵な絵や文章の数々が生まれてくるのだろう。

 

 

 高柳佐知子先生の素敵な絵葉書 湖水地方のソーリー村辺りだろうか いずれ杏が夢中になることだろう

 

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中国の若き獅子たちへ

 

 

 愛用のドイツ製 切り絵用ハサミ 杏もお気に入り

 

 

 

             中国の若き獅子たちへ

 

 天安門事件の詳細は中国本土では殆ど見られない。勿論検閲があるためであり、事後どのようなことが起こったか、何故かくも酷い格差社会が生まれたのか、このところ反日デモに参加している若者たちは全く何も知らされていない。今回北京で開かれた中国共産党第17期中央委員会第五回総会で、習近平国家副主席(党政治局常務委員)が党中央軍事委員会副主席のポストに抜擢され閉会された。国家・共産党の重要ポストに加え、軍事指導者としての地位を固めたことは、あなた方の近い将来に極めて重要な意味を持っていることを知るべきである。幸いこのブログは中国から多数のアクセスがあるために、多分賢明な多くの諸氏が読んでくれるものと思い、忌憚なく、遠慮なしにコメントしたい。

 反日デモの発端は、革命第三世代である鄧小平氏が政経分離を打ち出し、今日の繁栄に結びついているのだが、その後の第四世代である江沢民氏が提唱し徹底学習させた反日教育によるところが最も大きいものである。事実ちょうど今のあなた方がそうである。第五世代である胡錦濤主席は近隣諸国と連帯と連携を打ち出していたが、軍部が納得せず、本来の保守派である習氏に白羽の矢を当てたのである、習氏の奥様は軍人であり、最も有名な歌手でもある。これから更に日中関係は緊張関係になるだろう。習氏と言えば、我が国の宮内庁にある去年一ヶ月予告ルールを無視し、12月強引に今上天皇に拝謁したその人である。

 こんなにも豊かになったはずなのに、学卒でも就職出来ず、都会と農村部の貧富の差が激しくなったのは、一体誰のせいだろうか。天安門事件以来ひた隠しにされてきた超高級官僚たちの存在を指摘したい。文化大革命で一旦失脚した彼らがその後復権し、特に天安門事件以降強烈な利権を掌握し手放さなかった。彼らは電力もガスも公共事業の利権も一切合財一手に担ってきたのだ。たった1%未満のエリートと称する人々にである。その子孫を「太子党(たいしとう)」と言われる極僅かなエリート集団で、今回選出された習氏はその代表格である。巨大な市場はこの僅かな人たちの手中にある。利権の輪の中に入った人は短期間で巨額の財をなし、それに落ちこぼれた民衆は限りなく貧民に喘いでいるのだ。そればかりか地方にいる小役人ですら、その多くが苦しむ民衆から悪辣に搾取し平気の平左である。

 偉大なマルクスが聞いたら、きっと腰を抜かすことだろう。北朝鮮では三世代にわたって世襲が行われ、中国政府は一貫して反対をしていたが、金雲日氏(三男)を堂々とお披露目をしたところを観ると、中国共産党は黙認したようである。そう言えばそうだろう。巨大な利権の上にアグラをかく太子党を中心とした現在、いやいや近未来の中国政府こそ、北朝鮮とどこが違っているのだろう。同じ穴のムジナでしかない。反日教育で成長したあなた方は本来政府そのものに向けられるはずのエネルギーはトンでもない間違いを犯しているのである。一党独裁主義を告発し、民主主義を勝ち取ろうとし、投獄され、ノルウェイ政府からノーベル平和賞を受賞した劉暁波さん、その奥さんも今でも北京自宅で軟禁状態である。国家統制とは名ばかりで、実質一部の高級官僚の支配下にある君たちは、可哀想である。ウサ晴らし半分の反日デモに現を抜かしている場合だろうか。今日食べる糧、明日食べる糧にもこと欠きながら、偉大な歴史のある中国国家の尊厳を、自らが冒涜し破壊していいのだろうか。これが国連の常任理事国の正体で実態である。

 レアアース問題は欧米にも飛び火した。国際的に尖閣諸島は中国固有の領土だと主張し妥協しないつもりだろうが、明らかにWTO協定違反の大きな問題である。私はあなた方国家の迎賓館である釣魚台に宿泊したことがある。ご一行さまに一棟まるまる使って戴く処遇には大変感激した。特に正門にいる或る衛兵は釣魚台境内に入れる三千輌に及ぶ車両のナンバーをすべて掌握し記憶していることには驚かされた。食事も、ミシュランなら三ツ星に間違いないだろう。多くの中国美人にも驚かされた。だが一切門外には出られず、どんなに窮屈な思いをしただろう。私は二度と釣魚台には泊まろうとしなかった。まことに大きな国家だが、まことに拙く幼い国家でしかなく、革命第五世代となる習氏の動向を見定めているが、君たち若者も、もっともっと大きな目を持てる勇気ある国民に成長して欲しい。清王朝時代末期、世界を見る目があったなら、上海などに租界は出来なかっただろうし、阿片戦争などという馬鹿にされた歴史を持つことがなかったろう。無論日本などという小国にも圧政に苦しむことはなかった。

 魚釣島は一島(国家所有)を除いて、他の島は日本の、一般人の固有の土地である。拡大主義には必ずいずれ限界があることを認識すべきである。中国政府系ハッカーが当ブログを狙い撃ちするのに、私は全く恐れてなぞいない。チベット侵略反対!高級官僚による利権の独占に反対!役人による腐敗支配に反対!新疆ウルグァイ自治権を認めよ!中国の果てしない軍拡反対!民主活動家弾圧反対!国際法無視の貿易摩擦反対!世界と連帯してこその繁栄がある。君たち若者の獅子たちよ、明日の正面に向かって勇敢に進め!!

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